歴史系楽曲置き場

歴史と関係した楽曲を紹介します。

ירושלים של זהב(Yerushalayim Shel Zahav)

今回紹介する曲は ירושלים של זהב(Yerushalayim Shel Zahav)。

イスラエルのミュージシャンNaomi Shemerが1967年に作詞、作曲した曲である。

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Naomi Shemer

 

歌詞の多くがユダヤの詩、聖書などから引用されているため、非常に詩的な

歌となっている。

なお、この曲が作られた3週間後に第三次中東戦争が起こり、それによりイスラエル

エルサレム旧市街と東エルサレムを獲得したため、それに関する歌詞が追加された。

この曲はイスラエルにおいて第二の国歌と言われるほどの人気度、知名度を誇り、

この曲を国歌にする案が生まれたこともある。

 

ירושלים של זהב(Yerushalayim Shel Zahav)


Jerusalem of Gold - Yerushalayim shel Zahav -Ofra Haza- with English Lyrics

Ballad Of The Alamo

今回紹介する曲は Ballad Of The Alamo。アメリカを代表するカントリー歌手の一人、

Marty Robbinsが、1960年の映画 "The Alamo"の挿入歌として歌ったものだ。

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Marty Robbins

 

この曲は1835年に起こり、当時メキシコ領であったテキサスが独立するきっかけ

となった戦争、テキサス独立戦争の中でも知名度の高い戦い、アラモの戦いを

歌っている。

アラモの戦いとは、1836年に起こった、現在のテキサス州にあるアラモ砦(現在は博物館)に立てこもったテキサス人約250人と、メキシコ軍約1600人の戦いである。

13日間続いた戦いの結果はメキシコ軍の勝利に終わり、立てこもっていたテキサス人

は全員戦死し、メキシコ軍も300~400人が戦死するという壮絶な戦闘となった。

そして、この戦いをきっかけに生まれた言葉 "アラモを忘れるな!" は

テキサス独立戦争においてテキサス側の合言葉として使われたとされる。

 

Ballad Of The Alamo


Marty Robbins - Ballad Of The Alamo

 

 

 

Sink the Bismarck, Battle of Bull Run, Battle of New Orleans

今回は1950年代のアメリカで活躍したカントリー歌手、Johnny Horton が歌った曲の中から、歴史を題材にしたものを3つ紹介する。

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Johnny Horton

 

1曲目は Sink the Bismarck 。第二次世界大戦時に存在したドイツの戦艦ビスマルクへの

追撃戦、そして沈没までを歌った曲である。

Sink the Bismarck


Johnny Horton - Sink the Bismarck with lyrics

 

2曲目は Battle of Bull Run 。南北戦争初期の戦いである第一次ブルランの戦い

(南軍側の呼称は第一次マナサスの戦い)を歌った曲である。


Johnny Horton- Battle of Bull Run

 

3曲目は Battle of New Orleans 。米英戦争末期に起こった戦いであるニューオーリンズの戦いを歌った曲である。

 


Johnny Horton Battle Of New Orleans (HQ Stereo) (1959)

חיילים אלמונים (Hayalim Almonim)

今回紹介する楽曲は חיילים אלמונים(Hayalim Almonim)。

かつてイスラエル(当時は英国委任統治パレスチナ)に存在した

シオニスト武装組織、レヒとエツェルの賛歌である。

レヒとエツェルについては後述する。

この曲が作られたのは1932年。作詞者はレヒの創設者アヴラハム・シュテルン。

作曲者はシュテルンのガールフレンドで、後に妻となるロニ・ボーンスタインである。

この曲は1940年までエツェルの賛歌だったが、シュテルンがエツェルと袂を分かち

レヒを設立した際に、レヒの賛歌となった。

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アヴラハム・シュテルン

レヒはエツェルから派生した組織で、シュテルンも元々はエツェルに所属していた。

エツェルはパレスチナにて反アラブ、反英活動を行ったシオニスト組織である。

第二次世界大戦の勃発に伴い、エツェルはナチス・ドイツ打倒のためにイギリスと

共闘する路線へ切り替えたため、イギリスへの闘争こそがユダヤ人国家設立の近道

であると考えていたシュテルンはレヒを設立する。

シュテルンはナチスを利用してイギリスを倒すことを考えており、ナチスに対して

軍事的協力を申し出る代わりに、ユダヤ人をパレスチナへ移住させ、ユダヤ人国家を

作る手助けをさせるという交渉を持ち掛けている。

なお、正確にはシュテルンが設立した組織はイスラエル国家軍事機関であり、

1942年にシュテルンが亡くなった後にレヒへと改名された。 

 

חיילים אלמונים(Hayalim Almonim)


Anthem of Lehi (Lohamei Herut Israel) - Hayalim Almonim (חיילים אלמונים)

 

 

 

 

 

 

 

Battle cry of freedom

今回紹介する楽曲は Battle cry of freedom 。

この楽曲も前回紹介した Dixie's Land と同じく、南北戦争で歌われた楽曲である。

そして、北軍版と南軍版が存在するところも共通している。

 

この曲が作られたのは1862年南北戦争が勃発した後である。

作曲者は George Frederick Root。

北部の愛国歌として人気を博し、70万部以上の楽譜が印刷されたとされる。

 

南軍版の作曲者は H. L. Schreiner 。作詞者は William H. Barnes 。

南部においても大人気の曲となったようである。

 

自由のために戦わんとする双方の意気込みが歌われており、

双方の自由と正義がぶつかり合った、南北戦争らしい一曲と言える。

 

北軍


Civil War Song: Battle Cry of Freedom

 

南軍版

www.youtube.com

 

Dixie's Land 

記念すべき最初の記事に紹介するのは、南北戦争の楽曲。

Dixie's Land である。

この曲には南軍版と北軍版、2つのバージョンが存在する。

 

この曲はミンストレル・ショー(ミンストレル・ショーとは1830年代~1910年頃にアメリカで流行したエンターテインメントで、白人が顔を黒く塗り、黒人に扮して寸劇や歌、踊りなどを行うものである。)により広まり、当時のアメリカにおいて

人気の歌であったが、戦争が始まってからは主に南部で歌われ、事実上の国歌

と言えるほどに、南部では定番の歌となったようである。

北軍版はオリジナル版の替え歌で、南部を嘲るような歌詞となっている。

また、同じ曲を使った To arms in Dixie という歌も存在する。

 

南軍版


Confederate Song - I Wish I Was In Dixie Land (with lyrics)

 

北軍


"Dixie" (Union Version) - Union Civil War Song

 

 日本語版


日本語DEマーチ/14.ディキシー

 

To Arms in Dixie


Confederate Civil War Song | To Arms in Dixie

 

あいさつ

世界の軍歌、愛国歌、民謡、国歌などの中で、個人的に好きなものを紹介していく

ブログである。

 

なお、このブログではそういった楽曲をまとめて歴史系楽曲と称することにする。

 

 

また、曲の背景に関する文章の中で間違っているものがあったら、遠慮なくコメント

にて指摘してもらえるとありがたい。

 

そして、紹介する楽曲と私自身の政治思想は全く関係なく、

政治的意図も一切含めていないことをご理解いただきたい。